第2回 歯科医学歴史散歩~南千住界隈
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10:00南千住駅に集合し,歩いて延命寺・小塚原刑場跡に来ました。
ここは江戸時代の刑場でした。ここで命を落とした人々の霊を慰めるために 首切地蔵があります。がしかし,いまは台座しかありません。
3月11日に発生した東日本大地震のために地蔵がずれてしまいました。 もともとこの地蔵は数個の石で組み上げられたものでしたが, また余震が来て倒れてしまわないように台座付近に分割して 置いてありました。
地蔵の修復のための寄付お願いの看板が立てられていました。
看板には地震直後の地蔵の姿が見られますが,胴が完全にずれていて, 今回の地震がいかに大きかったかを物語っています。
常磐線をくぐって,回向院にやってきました。
常磐線の上り電車の右側車窓から徳川の御紋が見えていて,これは 何だろうといつも思っていたのですが,それがこの回向院でした。 江戸時代,小塚原の刑死者の腑わけを行った場所なのだそうです。
杉田玄白らが腑分けを行い,解体新書を訳したことを記念する 『観臓記念碑』がありました。ターヘルアナトミアの表紙をかたどった レリーフもありました。
少し歩いて日光街道に出て,『スサノオ神社』にやってきました。 この日はよい天気で,銀杏の黄色い葉も奇麗で,七五三の家族連れなども おりました。
荒川ふるさと文化館,旧千住製絨所煉瓦壁塀を歩き,ふたたび日光街道に出て 円通寺にやってきました。このお寺は,1868年上野戦争で戦死した彰義隊士が 葬られています。上野寛永寺にあった黒門も移設されていました。 黒門にある穴は弾痕なのだそうで,裏側にまわってみると弾痕 はありませんでした。
都電荒川線三ノ輪橋駅の近くの商店街ジョイフル三ノ輪にきて,『砂場』 という蕎麦屋で昼食にしました。ここはとても有名なお蕎麦屋さん だそうで,その木造建物も荒川区の文化財指定を受けているそうです。
昼食後,浄閑寺(投込寺)に歩きました。1855年にあった大地震で犠牲 となった吉原の遊女たちの遺体が投げ込まれたと伝えられるお寺だそうです。 『生れては苦界,死しては浄閑寺』とは意味深な言葉に聞こえます。 永井荷風の詩碑もありました。
浄閑寺で集合写真。今回の参加者は,学部学生5名, 衛専校生6名,教員3名でした。
江戸幕府は,江戸のはずれに吉原を作り,その外に小塚原刑場を作った。 その刑場にて日本における近代医学が出発したという。さらにはこの 南千住界隈は日光街道沿いということもあって,江戸から幕末にいたる 史跡めぐりの散歩となりました。

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