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10:00上野駅公園口に集合。 科学博物館前にある野口英世の銅像前に 来ました。科学博物館には何度も来たことがありましたが,野口英世の 銅像があるなんて知りませんでした。説明板には昭和26年からあるという ことなので,昔から試験管を振っていたのだと感心しました。 |
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東京都美術館前にはボードウィンの銅像がありました。オランダの人で, 江戸末期に日本に来て医学を教えたらしい。その後明治維新がおき, 日本がドイツ医学を選択したので,お役御免となった。江戸期を 通じて日本はオランダと貿易を行っていたのに,ドイツを選択するなど とは情けないと思ったらしい。ところが,お雇いのドイツ人が来る までに時間があったので,しばらく東京で医学を教えたようです。 医学を教えたことよりも説明板にもあるように,上野公園を作ることを 推奨した人として名前が残っているようです。 上は,銅像の説明をする石橋先生。 |
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| 上野の山から不忍池におり,弁天島を抜けます。 旧岩崎庭園の塀を見ながら無縁坂を登りきると,『鉄門』があります。 明治後にできた医学校の門のあとであり,東大医学部の同窓会は 『鉄門会』というらしい。 | |
| 鉄門を入ってすぐ右側に,ベルツの庭石がありました。 | |
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付属病院前には, 健康と医学の博物館が ありました。この日は,『わたしたちの脳』という企画展をやって おりました。 |
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| 博物館横の広場には,ベルツとスクリバの胸像があります。 | |
| 東大構内の木々の紅葉も大変きれいでした。 左は言わずと知れた赤門。加賀前田藩が将軍家から嫁を貰った際に 建てられた門です。建立を指揮したのが,『武士の家計簿』で有名になった 猪山直之らしい。 | |
| 本郷三丁目の『かねやす』から真砂坂上まで歩き, 文京ふるさと歴史館 に来ました。特別展として『近代医学のヒポクラテスたち』をやっています。 | |
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文京区には,東京大学 や日本医科大学, そして順天堂大学などが現存し, その前身たる学校や診療所がありました。そこで働いた人々も文京の地に 住み,その足跡や史跡が多くあります。 さらにはそこで働いた人々,ドイツ医学を導入することを決めた 相良知安や森鴎外林太郎 などの展示がありました。 |
| 文京ふるさと歴史館から南に向かうと,左に弓町本郷教会があり,もう少し 行くと右に大きな楠(クスノキ)に出会う。 司馬遼太郎著『街道をゆく(37)本郷界隈』にでてくるクスノキです。 確かに見上げるほどの大木です。すぐ横のマンション一階には,本にも でてくるレストラン『ペジーブル』 があります。本の中では『楠亭』となっています。 | |
| クスノキを後にさらに南に行くと, 東洋学園大学 にぶつかります。現在は4年生の文系大学ですが,戦前は歯科医専として 歯科医を輩出した歴史があるのです。この大学が戦後歯科大学になって いれば,全国で30校の歯科大学体制になっていただろうということです。 | |
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6階にある 東洋学園史料室 を見学させていただきました。東郷平八郎の入れ歯も拝見させて いただきました。 |
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ベルツとスクリバの胸像前での集合写真。今回の参加者は,学部学生5名, 衛専校生3名,研修医1名,教員5名の計14名でした。 |