第9回 歯科医学歴史散歩
~血脇守之助~
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10:00我孫子駅に集合。

改札を抜け南口に降りると,我孫子市ゆかりの人,駅周辺地図 があります。

写真の奥にあるのが『大光寺』です。ここで東京歯科大学中興の祖・ 血脇守之助が生まれたのだそうです。道路拡幅工事のため,門など 移設されているようです。

大光寺のすぐ近くには,我孫子宿の道標もあります。

住宅街の細い道を抜けると, 杉村楚人冠邸園に着きます。

手賀沼へ下る斜面を利用した庭園で,椿の花が咲いていました。

楚人冠とは,変わった名前かとも思われますが,その由来について書かれた 額がありました。

さて,この邸園にて『没後70年記念展示・血脇守之助』展が行われています。 血脇守之助については,東京歯科大学の ホームページに譲りたい と思います。高山紀齋が作った高山歯科医学院を1899(明治32)年に委譲され, これを守り育てたのが血脇守之助なのだそうです。 血脇は野口英世を見出し,野口を東京歯科医学院で雇用し,済世学舎 (現日本医科大学)に通わせ,留学費用を捻出したりと 野口の勉学を助けた人なのだそうです。


楚人冠邸園から少し歩いて,手賀沼に降りる崖の突端に 嘉納治五郎の別荘跡があります。

現在は公園として開放されています。下の写真に見るように,公園から 手賀沼を見ることができます。

嘉納治五郎別荘の道を挟んだ向かいには,柳宗悦(やなぎむねよし)の家 があります。現在も人が住んでいるため,内部の見学はできません。

下の写真は,嘉納治五郎別荘と柳宗悦の家の間にある,手賀沼のほとりに 降りる天神坂です。散歩には,大変良い場所です。

坂を下りきったところ,手賀沼のほとりに手賀沼公園があります。 公園内には,『血脇先生謝恩之碑』があります。この日はあまりに天気が よすぎて,また,石碑も北向きとあって写真が上手くとれません。

この石碑はもともと駅前の大光寺にあったのを,道路拡張工事のために こちらに移設されたものだそうです。

左は手賀沼のほとりにある手賀沼公園から先ほど通った邸園方向を撮った ものです。うっそうと茂る森に嘉納の別荘や柳宗悦邸があります。崖の 突端に居を構え,眺めの良い場所です。

崖の下は,崖線と呼ばれたりしますが,ここでは『ハケの道』となって います。いたるところ水が湧き出していて,小道が通っています。 ここを歩いて,志賀直哉邸跡地に来ました。現在は公園となっています。

さらにハケの道を行くと,『旧村川別荘』に着きます。

ここは,村川堅固とその息子堅太郎に継がれた別荘でした。 両者とも西洋古代史学者であり,特に堅太郎のほうは,高等学校の世界史の 教科書の執筆者としても有名です。

窓から見える竹林は,絵のようでもあります。

バスで我孫子駅にもどり,お酒と昼食となりました。 今回の参加者は,教職員6名でした。


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