第9.5回 歯科医学歴史散歩
~第五福竜丸~
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1976(昭和51)年12月17日に科学技術庁の使用許可を得て発足した 松戸歯学部 アイソトープ研究センターが廃止することになった。

11月には除染作業も終わり,放射能の標識もすべて取り外されました (左の写真)。

数々の『遺品』 が残されましたが,そのなかに神戸工業社製の電離箱式 サーベイメータがあった。 このサーベイメータは,第五福竜丸から荷揚げされたマグロの汚染検査に 活躍したサーベイメータと同じ型式であるという。

そこで,第五福竜丸をめぐってみたいと思った。

江東区夢の島公園内にある 第五福竜丸展示館を訪ねた。

この建て物のなかに,第五福竜丸がすっぽり入っている。下の写真は, 入り口すぐにある船尾部分。舵やスクリューの巨大さに圧倒される。

1954(昭和29)年3月1日,アメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験により, 放射性物質が付着したサンゴの細かいチリが降りそそぎました。 いわゆる「死の灰」と呼ばれるものです。付近で操業していた第五福竜丸にも 灰は降り積もり,船員やマグロにも付着したのでした。

左の写真は,船首部分。

展示の中には,船員が集めた死の灰や当時の新聞などもありました。

「原子病」とか「放射能症」という言葉が新聞に見られますが,今なら 「放射線障害」という用語が使われます。 船員には,放射線宿酔や脱毛や皮膚紅斑などの症状が表れたそうです。

乗組員23名のうち,9月23日に久保山愛吉さんが放射線障害により 死亡しました。

展示の中に,電離箱式サーベイメータがありました。アイソトープ研究 センターにあったものと同じ形でした。

同じ神戸工業社製の放射線測定装置のうち,増幅器とカウント数を表示する スケーラーも展示されていました。

展示の写真にも,これらサーベイメータでマグロの放射能を測定している ものがあります。「原爆マグロ」とか「原子マグロ」などと当時は 呼ばれたらしい。

展示館の外にも3つのモニュメントがあります。

左は久保山碑。久保山さんの言葉「原水爆の被害者はわたしを最後に してほしい」が刻まれています。

下の2枚は,数奇な運命をたどった第五福竜丸のエンジンです。

もう一つは「マグロ塚」です。

放射性物質に汚染されたマグロは海に捨てられたりもしたらしいが, 築地市場では市場内に埋設された。しかし,その位置は現在はわからない のだそうだ。

もともとこのマグロ塚を築地市場に立てたかったらしいのだが, 諸般の理由により,ここに暫定的に置いてあるらしい。

過日,築地市場に行ってみた。都営地下鉄大江戸線A1出口すぐわきの壁に 左の写真のようなプレートが貼り付けられているのみだった。

第五福竜丸については,日本アイソトープ協会の アーカイブズや,三宅泰雄『死の灰と闘う科学者』(岩波新書) によく書かれています。


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