第11回 歯科医学歴史散歩
~白金から麻布へ~
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10:00白金台駅集合。

駅を出てすぐ 港区立郷土歴史館があります。

これはもともと1938(昭和13)年,米ロックフェラー財団の支援・寄附によって 国が設立した「公衆衛生院」の建物です。

公衆衛生院は,2002(平成14)年に 国立保健医療科学院として統廃合された。建物と敷地は2009(平成21)年 に港区が取得し,2018(平成30)年に郷土歴史館として開館の運びとなった。

この建物の設計者は,内田祥三(よしかず)で,東大の安田講堂や各建物の 設計した人だそうだ。敷地横にある 東京大学医科学研究所の建物と対で設計されたらしい。

常設展として,港区の歴史が並べられています。それは縄文文化から始まり, 現在の姿までがあります。

港区には多くの大学や高校が存在します。日本が開国し築地に居留地が 設けられ,そこを発祥とする学校がその後港区に校地を移したからだそうです。

この散歩に関連して, 慈恵大学 北里大学 があります。 それぞれ高木兼寛と北里柴三郎に源流をたどることができるそうです。

高木は英国に留学し,医学を学ぶ。帰国後,貧しい人のための慈善病院を 発足させる。日本では明治政府がドイツ医学を選択し,陸軍は軍医の多くを ドイツに留学させ東京大学と密接な関係にあった。森鴎外はその典型である。 一方,海軍軍医は英国に学んだものが多く,高木らは慈善病院を海軍軍医の 実習病院としての役割を担わせた。看護婦教育所も設立し,これが日本での 看護教育の始まりであったらしい。 また,高木は日本海軍から脚気を撲滅した人としても有名である。

旧講堂の写真。下は,旧講堂の講壇左右に設置されたレリーフ。

その下の写真は,中央ホールの天井と東大医科学研究所の正門。

郷土歴史館の裏へ回り,蜀江坂を下ります。坂の右は聖心女学院であり, 坂を下りきったところに北里大学があります。

上の写真の右端に見える木は菩提樹であり,ノーベル賞をとった大村さん による寄附だそうだ。

下の2枚は,コッホ・北里神社である。北里柴三郎はベルリン時代の ロベルト・コッホのもとに留学し,数々の業績をあげた。コッホとの関係は 北里の帰国後も続き, コッホ研究所 のホームページの中に コッホの弟子たちというサイトがあり,詳しい説明入りで北里柴三郎について 書かれている.

北里大学を抜けて首都高をくぐると,光林寺です。

このお寺にヒュースケンのお墓があります。和洋折衷というかどうか, 墓石には十字架と英語で文字が書かれています。

光林寺横の新坂を登ります。登りきった先が有栖川宮記念公園。 公園前の坂が南部坂。この周辺には藩邸が多かったらしい。

公園から右に行って仙台坂上。仙台坂を下ります。坂の途中, 右側に韓国大使館があり,ものものしい警備です。

韓国大使館と道を挟んだところに,プロシア公使館跡があります。 現在は駐車場となっており,この看板が寂しくたっているのみ。

仙台坂を下りきったところが仙台坂下。 麻布山入り口でもあるらしい。

小さいお寺の間を通って,善福寺 まで来ました。

日米修好通商条約により,伊豆下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ, 1859年に善福寺を公使館として赴任させた。 アメリカンセンターJAPANにも詳しく書かれています。

麻布十番の中華料理店で昼食にしました。今回は教職員8名の参加でした。

左はパティオ十番にある「きみちゃん像」。赤い靴はいてた女の子~♪の 子です。


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