第12.1回 歯科医学歴史散歩
~広島大学~
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物理学会で広島大学に来ました。

まったく場所は違いますが,広島大学霞キャンパスに来ました。

広島大学医学部にある 医学資料館に来ました。

広島大学医学部は呉市にあったのを,1957年にこの地に移転した。 もともとこの地は陸軍の土地であり,兵器補給廠の赤煉瓦造りの建物を校舎 として使っていたそうだ。

その後,近代的な校舎や病院を建てるにあたって次々に取り壊されたが, 1978年旧11号館を改装して医学資料館を設置したそうだ。

レンガ造りの建物の前には,鈴懸(プラタナス)の木が植えられています。

ここには,木骨のレプリカが展示されていました。

星野良悦(1754~1802)は1791年,2体の刑死人をもらい受けた。 1体は解剖を行い,杉田玄白らの『解体新書』と比べながら内臓を見聞した。 もう1体は骨のみ取り出し,工人・原田孝次(宣之)に渡し,木材でレプリカを 作らせた。これを「木骨」といった。1792年のことである。

これを江戸に運んで幕府に見せたところ, 大槻玄沢は「身幹儀(しんかんぎ)」 と名付けた。

資料館2階には,医学部・歯学部(1965年発足)・薬学部(1969年発足) の歴史展示があります。 1960年代に使用されていた歯科診療台が2基展示されていました。

広島市内に戻り,頼山陽史跡資料館。ここにあるクロガネモチの木は, 被曝により焼けたが,5年目に株から再び芽吹き,現在では5mほどに 成長したという。

頼山陽史跡資料館の近くには, 旧日本銀行広島支店がある。1936年に建てられた。非常に堅牢な 構造だったため,1945年8月6日の原爆にも崩壊は免れ,8日には他の11行 と共同で業務を再開したという。


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